AIと人間の未来図②

世界の議題
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2019年3月14日先負

前回のブログでAIを「自立的に学習していく機会学習するネットワーク」と定義した。

AIが機会学習していく過程において必須となるのがセグメント(=分割すること)だ。

大量の情報をあらゆる属性によって区分けしていくことを意味する。

この特質が極めて厄介で重大な意味をはらんでいる。

 

どういうことか。歴史的背景と共に整理する。

江戸時代の日本に士農工商という身分制度が存在したことは中学生で習った。武士が一番偉くて、商人が最も卑しいと考えられていた。とうの昔に廃止されてはいたものの、この階層意識は第二次世界大戦後1947年民法大改正まで存続していた。

この時代は個人の人格や意志、価値観というものはほとんど認められない時代で、どの集団に属するかでその人を判断するというのが常識だった。個人より集団の時代

 

「個人の尊重」という考え方が社会に浸透し始めたのはつい最近のことで、日本国憲法13条に明記され「個人を時間とコストをかけて評価していこう」という風潮になった。

このような経緯から近代は、集団から解放された個人が自律的に生きていく時代とされ
自分で自分の人生を好きにデザインしようという自由闊達な素晴らしい時代になった。

 

ところが、AIの特質として前述のとおり大量の情報をあらゆる属性によって区分けしていくセグメントをその基本的思考としていることから、この個人尊重の精神に相反することなにはならないか、が懸念なのだ。

少し前の大型合併のニュースに思う。

誤解を恐れずにいえば、スコアによってその人の評価を決めるということになる。

AIの判断は絶対なのだろうか。

判断の過程においてセグメントしていくということは、確率の話になる。
確率で考える以上、当然のことながら誤差が生じる

AIに言われとつい鵜呑みにしてしまわないか?
多少の誤差はあってもAIの判断に依拠した方が時間的・労力は効率が良い?

 

長い時代を経てようやく手に入れた個人の尊重。
一方で大量の個人データをセグメントして効率的にスコア判断していくAIの特性。

集団より個人か。個人よりも集団(属性)か

AI社会の本格到来前にしっかりと考えておきたいテーマである。

 

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